ハウジングコーチ、ハウジングストーリーを活用した理想の家づくり

『家づくりの「目的」について考える・・vol.0』

『家づくりの「目的」について考える・・vol.0』

「理想的な住まいで家族と共に暮らし、幸せな人生をおくること」
以上。

そんなありきたりで抽象的な一般論が結論では面白くない訳です、僕としては。
住宅論にならない。
これでは何も響くものがないし、何も言っていないのと同じなのです。
もっと深いところで腹落ちする言葉がほしい!
そう考えるのは、なにも設計者サイドだけではないのではないか、という若干の期待をこめて何回かのシリーズで書いてみようと思っています。

作家 橘玲の『知的幸福の技術』によると、
「家というものは、地面の上にコンクリートと木で箱をつくっただけのものだ。「箱」としてのマイホームになんら特別な意味はない」
とあります。
なるほど、そうかもしれない、その通りだ。と感じる方も少なくないと想像します。
多分、そういった方には、これから続く(と思われる)シリーズはけっこう退屈だと思うので、無理に読んでいただかなくても結構です。
家づくりへの思いの細かな「あれこれ」をねちねちと(笑)書いていく予定ですが、もしお付き合いいただけるなら幸いです。

ということで今回はその第0回。(←0回って!)
すでにイメージはあるんですよ。
『9つくらいの家づくりの目的』(←くらいって!)
でも良かったのですが、途中でノッてくる可能性もあれば飽きてしまうことも(←おいおい)あるかもしれないので、ぼやかしつつスタートしてみます。
おそらく9項目で語ることになると思います。

書くにあたり、まずとっかかりとして、2つのことを調べてみました。
1つ目は、20代前半に読んだ家づくりに関する本のことです。
それまで建築関連の本は、専門家による著書しか読んでなかったのですが、書店でふと目に留まった2冊を一気に読み、衝撃を受けたことを思い出しました。

作家 藤原智美による2冊の著書
『「家をつくる」ということ』
『家族を「する」家』

芥川賞作家であることは(もちろん)知りませんでしたが、専門家とは切り口が違いそうだと感じ、興味を持ったわけです。
2冊とも「家をつくるということは家族関係を見つめ直すことだ」という主旨の良書でした。
埃をかぶった書棚から引っ張り出して、ドッグイヤーのページや赤線を引いた部分を20数年ぶりに読み返してみたところ・・・

「あれ?こんな感じだったかなぁ・・」

確かに今読んでも頷ける内容ではあるものの、拍子抜けするほどの感動の無さに自分自身びっくりしてしまいました。
はたして、だいぶ歳も重ねてこのくらいの思考・思索はデフォルトになったのか、僕自身の感性が変わってしまったのか、この本の内容自体が実は薄かったのか。。
当時、「これ凄いから読んでよ!」と勧めまくって読ませた方たちの反応がイマイチだった理由が、四半世紀経ってようやく理解できたような気がします。(・・・)
周りが優秀すぎたのは事実ですが。

2つ目は、何といっても家づくりにおいては圧倒的なシェアをもつハウスメーカーのことです。
毎年ほぼ変わりない着工件数上位のメーカー数社による、家づくりの目的、コンセプト、セールスキーワードといったものはどうなっているのか、いくつかWEBサイトを覗いてみました。
今の家づくりのトレンドというやつです。

すると、各社ほぼ変わりないんですね。
ちょっと意外でした。もう少し特徴を出して他社との差別化を図った言葉が並んでいるのかと思いきや、仮に社名を入れ替えても気付かないのでは?という印象です。

「強くて安全な家」
「エコな暮らし」
「夢をかなえる家」
・・・・

誰も反対しないフツー路線がハウスメーカーの目指すところなのかもしれませんが、似すぎている!
もう少しブレイクダウンした言葉を探してみると・・・

「家族が笑顔で毎日が楽しくなる家」
「収納上手でスッキリと片付いた家」
「素敵なキッチンを中心に家族が集まる家」
「緑に囲まれペットと同居できる家」

のような「素敵」な言葉、コンセプトが並んでいます。
どれも「匿名希望」の言葉。
量産型プロトタイプの言葉のようです。

こういったフレーズに心を惹かれ、自身の幸せな暮らしをイメージできる方が大多数なのでしょうか。そうではないと願いつつも、シェア実績だけを根拠にするとそういう結論になってしまいます。仮にそうだとすると、このような「軽い言葉」によってつくられた家(及び家並み)は当然軽い表情をし、住宅街がどこに行っても変わらない「無表情化」してしまっても仕方のないことなのでしょう。
そうして出来上がったのが現在我々が各地で目にすることができる住宅街の風景なのです。

これは単純にハウスメーカー批判をしているわけではありません。(してるけどw)そうではなく、あまり深く考えることなく経済合理性のもと、以前に比べれば気軽に家づくりや街づくりが出来てしまうような時代を我々が望み、実現してきた「成果」とみるべきなのかもしれません。

言うまでもなく、もう既に建築のスクラップ&ビルドを歓迎する時代ではなくなりました。
建物はその用途によらず、長寿命化を前提に計画することになっていきます(というか、なってます)。これは新築に限らず、リフォームやリノベーションの場合もきっと同じ流れでしょう。
この流れをもし何かの「チャンス」だと捉えることができるとするとどんなことが考えられるのか。
これからの時代に問われなければならないのは、この姿勢ではないかと考えています。

「気軽につくり、気軽に壊し、また再生する」
こうでないとすれば、
「しっかりと深く考え、残るもの、残したくなるものをちゃんとつくり、受け継いでいく」
となるのでしょう。
そうなるべきだと思います。

家づくりについて言えば、上記のような、あまりにも単純化され、プロトタイプ化され、パターン化された言葉によってつくられてきた家を、その「常識」から少し開放してあげるだけで事態は変わっていくはずなのです。
ただしゆっくりとですが。。

家づくりを難しく考えようと言っている訳ではなく、複雑で個性溢れるデザイン住宅をつくろうと言っている訳でもないのです。
レディーメイドでクリアーでビビットなキャッチフレーズに惑わされることなく、自分の家、居場所の理想的なあり方について、深く内面を見つめて考え、丁寧に自分らしい言葉を見つけるプロセスが必要ではないか、ということなのです。

深く考えるということと、難しく考えることは違います。
家づくりをするにあたって求めたいものは、心から深く頷けて納得感がありシンプルで自分らしい言葉に出会うことです。
空間は言葉によってできるもの。
その実感をつかめるかどうかです。

そうしたプロセスを経て得ることができる言葉とは、実は思っているほど千差万別にはならない、というのがここ何年かの活動を通して見えてきている感覚(あるいは仮説)です。何も個性溢れる表現、デザインで街を溢れさせることが重要なのではなく、世代を超えて受け継ぐ価値のある、魅力的で普遍性のある言葉、ストーリーに気付くことができるか、これが大切なのではないかと思っています。

そのことについて、今後多分9トピックほどのシリーズで、綴っていこうと思いますので、乞うご期待!



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